Android、Apple、そして電話における自由(phreedom)

 先週、Googleは初のAndroid搭載携帯電話T-Mobile G1を発表した。AppleのiPhoneと時を移さず比較されたわけだが、iPhone開発者には何とも喧しき一週間であったことを考えると、Androidの思惑が当たったということだろう。

 G1の最初の評価は概ね肯定的なものであったが、何人かの記者は「このアプリケーションやあの機能がないが?」との質問に「サードパーティの開発者が機能を追加してくれることを歓迎する」との返答を得たと不平をこぼしていた。オープンソース界において、この種のコメントは、多くの場合、開発を放棄したプロプライエタリベンダーがソースコードを投げ売って逃げ切るときの言い訳と見なされている。

 しかし、少なくともAndroid携帯に機能が追加される可能性があるということだ。また、Androidプラットフォームについてよく検討し、購入する価値があるか議論した上で資金を投入するかどうか判断できるということでもある。

 今週紙面を賑わしたもう一方のモバイルベンダーにそれは当てはまらない。iPhoneのアプリケーション開発者は、そこからざっくり閉め出された。Appleは同社の受入基準を変更し、複数の注目アプリをiPhone App Storeに受け入れることを真意不明の理由により拒否し、自分のアプリを自主的に配布しようとしたある開発者の活動を停止させ、挙げ句は開発者らに対して申請が却下されたことを公然と議論するな、さもなくばSDKの権限を失う可能性があると命じたのである。App Storeのポリシーが一時風刺の的となったのは、こうした経緯による。

来るべき変化

 4月に行ったiPhone Developer Programとフリーソフトウェアライセンスとの互換性に関する分析翻訳記事)のことがどうしても思い出される。Free Software Foundationのライセンスコンプライアンス担当と相談して得た結論は、iPhone Developer Programに参加して自分のソフトウェアを自由にする法的な手段は存在しないというものであった。GPLv3はまず問題外だ。その目玉である反Tivo化(anti-TiVoization)条項はiPhoneのようなコード署名プラットフォームに特に的を絞っているからだ。しかし、もっと重要なことは、開発者がフリーソフトウェアライセンスとオープンソースライセンスのどちらを好むかに関係なく、厳格な非開示契約(NDA: nondisclosure agreement)で、ソースコードのいかなる配布も排除するiPhone SDKの利用が要請されていることだ。

 予想どおり、Appleの擁護者らが割って入り、NDAはAppleが自由に解釈すべきものであると主張し(実際、そうなるだろう)、iPhoneアプリのソースコードについて討議し公開することに同意した。ところで、AppleはNDAの総括的な請求範囲が、その文面の与える印象と同程度に広範なものであるとは述べていない。Appleの法務部門はSDKに記述されたAPIと関数呼び出しがNDAによって保護されると考えただけでなく、開発者とAppleの間のやり取りも保護されると考えたのである。

 先週の否定的な報道が、結局、1つの転換点となったに違いない。10月1日、Appleは現在のNDAを破棄し、今後2週間のうちに新しいものと差し替えると発表したからである。iPhoneの開発者はそのニュースに興奮した。

 新しい契約が姿を現し、その変化を見定めるまで待つしかない。他方、NDAの条項の適用範囲が広いことは数ある問題の1つに過ぎないことも忘れてはならない。Appleは依然としてどのアプリをストアに入れるか判断することを止めておらず、気に入らないアプリを遠隔操作で没にすることができ、我々は登録されている開発者がiPhone App Storeの外でアプリを配布しようとした場合、その活動が停止させられることを承知しているのである。

 Appleの擁護者らは、先週のiPhoneアプリhijinksの件についてMacニュースサイトで同社に対する支持を表明し、Appleの気に入らないiApp(たとえば、Appleが今後の製品で提供することになるかもしれない有用な機能を実行するようなアプリ)をAppleは拒否する権利があると主張した。

 彼らは完全に正しい。Appleは権利の範囲でやっているに過ぎない。フリーソフトウェア支持者にとってiPhone Developer Programの問題はAppleの行動が権利を逸脱しているというよりも、Appleの権利が参加を前提とし、そこで検討され、詳細が詰められ、保護されているところにある。

次は?

 私は、相当数のiPhone開発者とiPhone所有者が大きな変化を求めて声を発するものと期待し、Appleの動向をずっと見守ってきた。一部にその動きはあるようだが、他の人々はAppleのApp Storeのポリシーや削除通告を勝手な理屈で正当化し、何事もなかったかのように仕事を再開するのだろう。よりオープンなモバイルデバイスプラットフォームのメリットについて本気で検討するのは、ごく一部の人々なのかもしれない。

 実のところ、第一級のフリーソフトウェア搭載携帯電話なるものを実際に見てみたいものである。個人的に欲しいのはもちろんだが、一般の多くの人々やモバイル開発者のコミュニティが本当に「納得」するためには現実に作動しているものを目の当たりにするのが一番だからだ。先週はAppleのミニ全体主義が一部の人々にショックを与えたようだが、もう1つのより優れた選択肢を体験して納得するしかないだろう。

 多分、Androidはフリーの携帯電話プラットフォームとなるだろう。それはOpenMokoか、Nokiaのオープンソース版Symbianとなるかもしれないが、実際どうなるかわからない。しかし、時間的な余裕はそれほどない。1年半後にそれが姿を現さなければ、私は「携帯電話」というモデルを完全に見捨て、代わりにSIPクライアントの稼働するWiMax搭載Maemoタブレットを携行することになるだろう。

 事実、そう言った以上、多分、それが現時点での正しい選択なのである。

Linux.com 原文(2008年10月2日)