Ontario LinuxFest、幸先よくデビュー

 10月13日、Ohioの既存カンファレンスの名を堂々と借りて、第1回Ontario LinuxFestはトロント国際空港24R滑走路の端近くにあるToronto Congress Centreで幕を開けた。セッション数を抑える一方、錚々たる講演者を多く集めたことで、カンファレンスは質の高いものになった。

 初めに、カリスマMarcel Gagnéの講演を聴いた。12月中旬リリース予定のKDE 4.0の特徴から語り始めたGagnéは、KDE 4.0は現行KDEを含む既存のあらゆるデスクトップ環境と一線を画しているという。

 KDE 4開発の前提は、ユーザー・インタフェースは自然なものでも直感的なものでもないということ。人に対応するインタフェースを設計するのではなく、人がインタフェースを使って作業することを学ぶのだ。デスクトップを発展させ前へ進めるために辿るべき道は有機化であり、デスクトップは人がこのように動いてほしいと思う形で動かなければならないという。

 このような解説と、まだ進化途上という前置きを述べたうえで、GagnéはKDE 4.0を実際に動かし、すでに搭載を予定しているさまざまな新機能を30分ほどかけて披露した。パフォーマンス好きの人なら、この新しいデスクトップに満足するだろう。

Ts’oの基調講演

 昼前に行われた基調講演のテーマは「Linuxの過去・現在・未来」、講演者は1991年にLinuxの開発でLinusに協力し北米で最初のLinux開発者となったTheodore Ts’oだ。

 Linuxの最初期について、Ts’oは、それは大いなる端末エミュレーターだったと冗談っぽく語った。そして、Debianの元服、Red Hat 3.0.3のリリース、Qt Public Licenseのリリース、Richard StallmanによるLinuxからLignuxへの改名提案を挙げ、それぞれ何年の出来事か尋ねた。何人かが答える中、Ts’oはそれぞれ1998年、1996年、1998年、1996年だと述べ、こうしたことの多くはすでに一昔も前の出来事になったと述懐した。

 Ts’oが語ったLinux略史は次の通り。1991年7月、Linusが最初のバージョンを書く。1992年、Xを追加、最初のディストリビューションを作成。1994年、Linux 1.0をリリース。ネットワークがサポートされた最初の版。1年後、1.2が登場。これはマルチプラットフォームに対応した最初のカーネルで、SPARCとAlphaをサポートした。1996年、マルチCPU(SMP)に対応。1997年、Linux雑誌登場。利用者数は推計350万人。1998年、Fortuneに取り上げられ、企業の注目を集める。1999年、Linux 2.0登場。利用者は増え、推計700万~1000万人に。この年、ドットコム・バブル発生、Red HatやVA LinuxをはじめとするLinux株が上昇。VA Linuxは取引初日に698%の急騰を記録。Ts’oは、これはIBMの時価総額より大きいと一刀両断にした。

 2000年、不況が始まった。しかし、Linuxは相変わらず目覚ましい発展を続ける。2001年には、利用者数が推計2000万人に。2003年1月、Linux 2.6をリリース。この版から新しいリリース・モデルを採用。企業に認知され始め、SunのOpteronマシンの80%は、SolarisではなくLinuxを動かしていた。その頃から、SCOが告訴し始めた。

 現在は、2.6カーネルをベースとするエンタープライズLinuxディストリビューションの第2期に差しかかったところ。競争はさらに激しい。Vistaの不人気はMicrosoftのWindows XPの寿命を6か月延ばしたが、この失敗はLinuxにとっては始まりだ。Sunも、Javaのオープンソース化などオープンソースに手を広げはじめている。

 SunはSolarisをGPL非互換のライセンスでリリースしており、コードの95%は今も自社開発だ。品質保証を懸念した結果だが、それはフリー・ソフトウェア・コミュニティーも同じだ。Sunには、自分のコードが原因でビルドを3回壊したら馘首という方針がある。そうした環境からオープンソースに移行するのは難しい。

 Ts’oが勤務するIBMは、逆に、コミュニティーの比重が大きく、IBMもそれを諒としている。すべてを自社でする必要はないというのがIBMの姿勢だ。

 そして、SCOは破産した。Ts’oがそう語ると会場に喝采が広がったが、オープンソース・ソフトウェアは現在、法的問題、とりわけ米国Digital Millenium Copyright Act(DMCA)から派生する問題に直面している。DMCAについては、米国政府は他国にも同様の施策を求めており、つい最近オーストラリアが同調した。現在は、NovellとRed Hatが特許訴訟のターゲットになっている。DMCAがリバース・エンジニアリングを制限していることから営業秘密が問題とされる。コミュニティーとしての対策は、政治的過程に関与することだ。

 Ts’oは、続いて、GNUのGPLv2とGPLv3間の論争を取り上げた。

 GPLv3は発効後3か月経ったがGPLv2が駆逐されていないのは明らかで、そのため2つの異なるライセンスが併存しているのが現状だ。カーネル開発者はバージョン3を歓迎しないが、Ts’oは「組み込みアプリケーション」という言葉を使って論点を端的に説明した。Linuxはデータ・センターでよく使われておりWebサーバーの分野では大きな占有率を持っているが、組み込みシステムとデスクトップ分野はこれからだ。

 Ts’o自身はカーネル側の立場だと言い、GPLv2の立場を次のように説明した。Linuxを使い貢献してくれる組み込み分野の開発者がほしい。みんなで「石のスープ」(昔話)を作り、改良していけるようにだ。次に、GPLv3の立場を説明した。v3の目的は、すべてのエンド・ユーザーが自分で手を加えたシステムを装置に組み込めるようにすることにある。たとえば、TiVoはチェックサムにより変更を防止し自由な利用を妨害している。これに対しては、v3を適用しても装置の製作者は別のソフトウェアを求めるだけだという反論がある。我々としては貢献してくれる人たちがほしいし、ハードウェアよりもソフトウェアを優先したい。オープン・アーキテクチャーの企業は生き残り競争に善戦する傾向があるし、TiVoを使っているほとんどの人は装置を分解しないだろうが、残り0.01%の人たちが分解し、ほかの人たちのために価値を高めている……

 この議論が決着することはないだろうとTs’oは断言した。議論する価値はあるが、それは宗教的なものなのだ。GPLv3は制限指向であり、GPLv2からはプロプライエタリなライセンスに見える。しかし、FSFはこうした制限は良いものだと主張する。

 許可があれば、GPLv3コードはv2コードを混在させることができる。しかし、LGPL v3ライブラリーがGPL v2アプリケーションにリンクされたらどうなるだろうか。合法的だろうか。今や、開発者たちはGPL互換性の新しい市場を開拓するどころか、低下を心配しなければならない。これは不名誉なことだ。これがTs’oの結論だった。

 次に、既存のLinux市場内部での競争が問題になってきていると指摘した。そして、Red Hatの創設に参加しCEOを務めたこともあるBob Youngは草創期にイベントで競合するディストリビューションのためにCDを配ったこともあり、これを「パイを大きくする」と表現していたと言う。パイが大きくなれば、Red Hatの取り分も増えるというわけだ。しかし、今の競争は心配だ。Ts’oは、これをコモンズの悲劇と呼んだ。

 企業の中にも懸命に働く企業と報酬を刈り取る企業とがあると、Ts’oは言う。一部の企業は研究・開発行い、その結果をオープンソースにする。一方、その仕事を利用し、自社製品に入れて販売する企業がある。これは完全に合法的だが、開発企業が収益を生めなければ業務を停止してしまうリスクがある。メインライン・カーネルへの投資は維持に必要な規模があるだろうか。コードを評価する人は不十分だ。誰がそうした地道な仕事を引き受けるのだろう。

 オープンソースはバグを改修し漸進的に改善するのに向いている。しかし、大量に書き直すのは難しい。たとえば、Linuxカーネルのブロック・デバイス層。これを書き直す必要性は1995年にわかったが、2003年まで行われなかった。カーネル2.6でこの問題は解決したが、そのためにカーネルの多くの個所を書き直す必要があった。

 主要なオープンソース・プロジェクトのほとんどには、中核に有給の人がいる。LinuxとGNOMEでは大方は有償のエンジニアだが、KDEは趣味人のプロジェクトという色彩が強い。Ottawa Linux SymposiumやLinuxWorldなどのカンファレンスは全額企業資金だと想像される。一方、FOSDEMやOhio LinuxFestなどはそうではない。一部のオープンソース開発者にだけ資金を提供すれば軋轢を生む可能性がある。Debianが実施するDunc-Tankプロジェクトはリリースを早めるために一部のスタッフに臨時に支払うというもので、議論の余地があり、Debianの多くの人は好ましく思っていない。一部のDebian開発者にはCanonicalのような外部の企業から資金が提供されることになるが、金でDebian内部の聖所を侵すべきではないと感じている人が多いという。こうした分断状態の中で仕事ができるだろうか。Ts’oは、趣味人も企業も両方必要なのだと述べた。

 続いて、Ts’oはMicrosoftを警戒すべきだと忠告した。Vistaの失敗は、Microsoftが何もしないということではない。数年前Sunは滅びると見られていたが、今はどうだろうか。Microsoftには豊富な資金があり、いつもいつも愚かに振る舞うとは限らない。

 ソフトウェアは誰にとっても使いやすくなければならない。Microsoftは何百万回という利用テストを行ってきた。非技術系の人々に新しいソフトウェアを使ってもらうテストだ。その手順を記録し開発者たちはそれを見て、実際の利用者がアプリケーションをどのように使うかを理解する。Ts’oは自分自身のビデオテープを見るのと似ていると言う。

 ソフトウェアの中には常にプロプライエタリなものもある。たとえば、弁護士が参加する税務書類ソフトウェア、Worlds of Warcraftなどの大規模なマルチプレーヤー・ゲームなどだ。世界を押さえようと思うなら、少なくとも、独立系ソフトウェア・ベンダーを積極的に敵視すべきではない。Windowsを使う人は厖大だ。Windowsベースのアプリケーションの8割~9割についてはLinuxにも代替があるが、まだ欠けているアプリケーションが多い。Linux Standard Baseは、ISVがLinux向けソフトウェアを作りやすいLinuxの実現を促進する道だ。

 Linuxデスクトップはどうなるのだろうか。Linuxデスクトップの年は「来年には」の繰り返しのようだが、少しずつ改善されている。IBMのLotus Notesなど、Linux向け商用デスクトップ・アプリケーションが出できた。ノートパソコンはLinux搭載のものが売られており、適切なオフィス・スイートもある。

 それでは、何が欠けているのだろうか。見栄えの良さだろうか。それなら、マウスをぐるぐる動かすとCompizを使ったデスクトップが立方体のように動き回るようになった。使いやすさだろうか。それなら、少しずつ改善されている。利用しやすさでは、基本的なLinuxデスクトップは、基本的なWindowsデスクトップと遜色ない。しかし、Mac OS Xにはまだ追いついてはいない。

 ソフトウェア全体ではどうだろうか。だいぶ満たされてきたが、まだ20%は欠落している。

 互換性のあるオフィスもある。オペレーティング・システムよりも、ドキュメントのファイル形式の方がはるかに重要だ。Linuxに触れたがらない人がいたら、使っているWindowsマシンにOpenOffice.orgを入れてあげよう。Microsoftの提案するドキュメント標準OOXMLのお陰で、どちらにしてもファイル形式を変更する必要がある。OpenOffice.orgに変えるのもOpenDocument Format(ODF)に変えるのも大差あるまい。このファイル形式競争で勝てれば、デスクトップの切り替えも可能になるだろう。そして、OpenOffice.orgに触れる機会を人々に提供するだけで、Microsoft Officeの削除を求める必要はない。

 Linuxにとって、この16年は輝かしいものだった。成し遂げてきたことは多いが、まだ残されていることも多い。しかし、克服できないものはない。Ts’oは、このように話しを結んだ。

地域の問題

 昼食後は、もう一つ、興味深いセッションに参加した。私が住むところからは遠く離れた地方の、あるプロジェクトがテーマだ。オンタリオ州オーエンサウンド近くのブルース郡とグレイ郡で、BGLUGというプロジェクトが実施されている。United Wayと協力して、Children’s Aidの匿名システムを通じ、寄贈されたローエンドLinuxマシンを貧困状態にある生徒に配布しているのだ。BGLUGのBrad RodriguezとUnited WayのFrancesca Dobbynが、プロジェクトの進め方とこれまでの成果について1時間にわたって紹介した。

 ことの成り行きを簡単に記すと、地元自治体が、廃棄するコンピューターでまだ使えるもの数台をDobbynのUnited Wayオフィスに提供した。オフィスでは使用していたさらに古いマシンを置き換えたが、残りについて、コンピューターを必要とする生徒に提供できないかと地元Linuxユーザー・グループに相談した。

 政府の支援を受けている家族は、彼らが受け取った品物すべての価格を申告しなければならない。これにはソフトウェアも含まれる。その分、支給額が減額されるのだ。そこで、LUGがそうしたマシンにLinuxをインストールし、地元のChildren’s Aid協会を通して、それを必要とする地元の学生に匿名で配布したというわけだ。現在は、ハードウェアの寄贈を受け付け、恒常的な事業として運営している。

 Rodriguezによると、Linux、特にUbuntu 6.06を使ったという。無償であり、アンチウィルスなどのセキュリティー・ソフトウェアが維持されていなくても、インターネットに接続した途端に侵入される危険がないからだ。マシンを設定した人とそれを使っている人とが連絡不能なため、セキュリティーの維持は不可能だからだ。

 こうした生徒が遭遇したマシンに関するトラブルは、LUGのメンバー4人がボランティアで相談に乗る。マシンはゲームを動かすには非力だが、その使途は、タイプされた作文とPowerPointを使って教室で発表するために宿題に取り組んでいる生徒たちの支援に厳しく限定されている。

 学校で問題となっている点の一つは、生徒が宿題を学校にあるWindowsコンピューターのMicrosoft Officeで印刷しなければならないことだ。技術的には問題ないが、教育委員会はMicrosoft以外のソフトウェアをインストールすることを許さないだろう。多くの教育委員会は予算が厳しい。そこで、Microsoft以外のソフトウェアを入れないということを唯一の条件にしてMicrosoftが多くのコンピューターを寄贈しているからだ。

そのほか

 ほかにも多くの話題があった。その一つ、MicrosoftのOOXML文書標準とOpenOffice.orgのODF文書標準を実証的に完全に比較したものがあった。Gnumericを管理するJody Goldbergによるもので、両者を詳細に比較している。結論だけを紹介すると、OOXMLは悪魔の申し子ではないし、ODFは完全無欠ではないということ。どちらも強みと弱味を抱えており、両方の標準を使えない理由はないという。

 結論を言えば、Ontario LinuxFestは、私が参加したLinuxカンファレンスの中では上位にランクされる。会期は1日のみ、2つのセッションと2つのBOF、そしてお馴染みのLinux Professional Institute試験会場で構成されていたので、参加するセッションの選択ではほとんど悩むことはなかった。広範な話題を取り上げた少数のセッションで構成されていたため、質の高いセッションの割合が大きい。私の見た限りでは、時間の無駄だったセッションはなかった。

 このカンファレンスで唯一の欠点は収支の問題だ。300~350人が参加したが、主催者は、予算不足を埋めるために、文字通り最後まで寄付を求めて回らなければならなかった。にもかかわらず、私は、Ontario LinuxFestはこれからも続くカンファレンスだと考える。OLF2008が楽しみだ。

Linux.com 原文