Eben Moglen氏、Tim O'Reilly氏に「対話への参加」を呼びかける

 オレゴン州ポートランド発――O’Reilly Open Source Conventionの本日(7月24日)の席上、O’Reillyの創始者にてCEOを務めるTim O’Reilly氏に対して、Software Freedom Law Centerの取締役を務めるEben Moglen氏が敢然と立ち向かった。Moglen氏は、O’Reilly氏がこの10年間に行ってきたのは利潤追求と売名行為であると発言し、今後O’Reilly氏は“軽率な行為”を改めてソフトウェアの自由に関する対話に参加するよう求めたのである。

 そもそも本日開かれたエグゼクティブ・ブリーフィングでは、Moglen氏とO’Reilly氏とにより「Web 2.0時代のライセンス」について約30分間におよぶ討論が行われる予定であった。このセッションの前半では、主としてFacebookおよびFirefox機能拡張をテーマにした意見がO’Reilly氏およびその他のゲストとの間で交換され、これは表面的な議論に始終していたため内容的にも穏便に進められていた。ところがMoglen氏がO’Reilly氏に対して、フリーソフトウェアよりもオープンソースを積極的に促進すべきかという非難を込めた話題を振ったあたりから議論が荒れ始め、O’Reilly氏の持論であるWeb 2.0の登場によりソフトウェアライセンスの重要性は薄れたとする考えは間違っているとしたのである。

 Moglen氏が語ったのは、Web 2.0時代とは「山のようなナンセンス」がはびこる時代という見解であり、「私たちが実際に体験してきたのは、処理能力の集約化ではなく、処理能力の分散化という方向への革新です」という主張である。そして同氏は聴衆に対して「この部屋を見回してご覧なさい」と呼びかけ、そこには150から200台程度のコンピュータが存在しており、それだけでも「1965年当時のIBMが有していたソフトウェア開発能力を凌駕しているはずです」と説明した。

 Moglen氏の主張は、長期的な観点に立脚するとやがて人々はGoogleなどのプロバイダに対して「これからは自分のもの(データ)は自分で保持しますし……、そして必要とする処理を各自で行うようにします」と宣言するようになるでしょう、ということだ。

 Moglen氏の考えに従えば「10年というタイムスケールで考えれば、この現象(Web 2.0)などは一種の熱雑音に過ぎません」、ということになる。これに対する反論としてO’Reilly氏が、そうであればLinuxも“熱雑音”に過ぎないという主張も可能ではないかとすると、Moglen氏は「それは可能でしょうが、間違った考えです」とし、Linuxは長期的にも重要な位置を占め続けるであろうとした。

 その他にもMoglen氏は、こうした問題は今になって出現したものではなく、同氏がFree Software Foundationを立ち上げた1993年当時にも最適化されたGCCのホスト版に関して同様の問題が存在していた、ということを語っている。また同氏はWeb 2.0企業は長命を保てないだろうと指摘している。Moglen氏の言葉を借りれば、「Facebookとは子供達がこの1週間に何をしていたのかという話題ですが、そうしたものは私の関与するところではありません」ということであり、子供達は来週になれば何か別の事に関心を移しているものですということになる。

 Moglen氏は、Googleを始めとする“Web 2.0”プロバイダの存在でライセンス問題の意義が薄れることはないと主張しているが、その根拠として挙げているのは、これらの企業はソフトウェアを任意の目的に使用できる権利および各自が改変を施すことのできる権利を利用しているが、そうした自由の権利を保護するために進められているのがRichard M. Stallman氏によるGPLであるとした見解である。そしてこれらの権利と対立するのが変更内容を把握する権利であるのだが、Moglen氏によるとこうした問題は「二者択一的な思考」で解決されるものではなく、すべての利害関係者の権利を確立して保護するための交渉が必要だということになる。「私どもはGoogleの活動について、それが自由の下で行える権利に基づいていると結論しました。ああした企業がプログラムを実行するのに何らの許可もいらないのだと。プログラムの実行に何らかの許可がいるとすれば、それは自由であるとは言えません」

 Moglen氏がWeb 2.0企業とソフトウェアライセンスに対する懸念事項として挙げているのは、「活動全体の2%に過ぎない事柄への検討に活動時間の90%が費やされること」である。

 次にMoglen氏がO’Reilly氏に問いかけたのは、フリーソフトウェアよりもオープンソースソフトウェアを積極的にサポートすべきかという非難である。「仮に私たちがオープンソースの問題を脇に追いやって原則論に対する検討を進めていたとすれば……、あなた方はオープンソースについての議論に時間を浪費し……、今なお残された大きな問題は、各自の商用製品の売り込みに時間と労力を浪費してきたビジネスモデルに固執する人々が打ち出した保護政策の過ちを正すことになっています」

 話がここまで及んだ段階でMoglen氏がO’Reilly氏に呼びかけたのが「自分が重要だと思う事柄を手がけることです。わずかな金額をめぐって右往左往することは止めましょう」ということであり、オープンソースではなくフリーソフトウェアに関する討論に参加することであった。

 今回Moglen氏は、聴衆から出されたいくつかの質問にも答えている。その1つは、GPLv3が“サービスとしてのソフトウェア”という抜け穴をふさげなかった件について、どうすればMoglen氏は真剣に検討してくれたのかというものであった。Moglen氏はこれに答えて、GPLv3でも“抜け穴”をふさぐことは可能であったはずだが、そうすると任意の目的にコードを使用できる権利と各自が改変を施すことのできる権利という2つの基本的な自由の権利を侵害することになっていたと説明した。Moglen氏としては、人々の権利を剥奪するための法律的な作業に興味はなく、関係者双方の権利を両立させるための作業を行いたいと語っている。権利が対立した場合に法律家が行うべきは、双方の権利を守るための方法を見つけることである、というのが同氏の考えなのである。

 休憩時間も間近になり、このセッションを終えるに当たってMoglen氏からO’Reilly氏に提示されたのは「これからの10年間」を軽率な行為に費やすべきではないという呼びかけであり、「GPLv3の制定により、より成熟した視点からこれら(フリーソフトウェア)の問題を扱うための時間的余裕を作ったはずです」という主張であった。そしてO’Reilly氏がMoglen氏は個人攻撃に走っていると反論すると、Moglen氏からは「あなたが過去に避けてきた対話の場へ参加するよう呼びかけただけですよ」という返答が返された。

Linux.com 原文