ヒスパニック・リナックスの挑戦 (2)

 スペインのエストレマドゥーラ自治州が開発したLinuxディストリビューション「gnuLinEx」についての続編をお届けする。今回は報告の後編としてエストレマドゥーラ州の配布後の状況を述べ、特に日本国内の学校導入事例との比較を行なう。

世界的な注目

前回記事ではエストレマドゥーラ州が開発したLinuxディストリビューション「gnuLinEx」について報告した。エストレマドゥーラ州は「全ての人に自由と平等を実現する」というスローガンのもとに、国際会議(http://www.opensourceworldconference.com/)を毎年開催し、そこに参加したGNUのRichard StallmanやDebianのIan MurdockらはgnuLinExへの賛同を表明している。(ただしStallmanはその後gnuLinExがDebian同様にnon-freeパッケージを配布していたことを知り、推薦を撤回している。問題になったのはおそらくマルチメディア関連のパッケージだろう)。 Debian GNU/Linux をベースとした開発はその後も良好で、現在はSarge対応の gnuLinEx 2006 が配布されている。

エストレマドゥーラ州を財源面で支援したEU(欧州委員会)は、新たにEU i2010プログラムを発表し、このプログラムに影響を受けて、クロアチアのように単なる電子政府にとど留まらず、公的教育にまでフリーソフトウェアの導入を検討する国も現れた。人口百万人の農村からはじまったフリーソフトウェア導入は、いまやスペイン語圏の自治体サービスだけでなくヨーロッパの教育にまで広がろうとしている。

産官学民によるフリーソフトウェア戦略

ワシントンポスト紙によれば,このキーパーソンは、エストレマドゥーラ州の教育科学技術相をつとめるルイス・ミジャン・バスケス・デ・ミゲル大臣である.彼はアメリカに渡ってフロリダ大学で生化学の教員をつとめた後、エストレマドゥーラ大学の教授を経て、州大臣に起用された。しかしgnuLinuxを単なる教育用ディストリビューションと思ってはならない。gnuLinExは、小学校教育にはじまり、市民の情報教育センター、そして大学から企業にいたる幅広い社会活動をカバーしているディストリビューションである(伝票管理・会計処理・POSシステムといった独自開発の企業向けパッケージも同時に配布されている)。

Linuxの教育現場への導入を考えるとき、どうしても教育用のディストリビューションを考えてしまいがちである。だが、もしも教師や社会人が実際に使ったことがないシステムを生徒に与えれば、それは生徒に対してよい働きかけとは言えないだろう。社会で動いている環境を与えた方が、生徒に対して努力が報われると信じられるという希望を与えることができるのではないだろうか。エストレマドゥーラ州のDVD資料によれば、教員にはgnuLinExを使った教育実習、およびネットワークを使った通信教育に よるトレーニングが用意され、gnuLinExを配備したコンピュータ教室は、古典ラテン・ギリシャ語から体育・造形美術までカリキュラム全般で使われている。日本国内で利用層をひろげつつある日本語KNOPPIXも、ぜひ産官学民の広い層に訴えるようなディストリビューションをめざしてほしい。また、今後はMITオープンコースウェアの義務教育版のような各教科のデジタル教材の共有が必要だろう。

近年は初等教育の段階から不正コピー防止教育が行われているが、エストレマドゥーラ州でも著作権教育は早い段階から行われている。そこで活躍するのがLinExのマスコットキャラクターとして活躍する「リネックス・トレミックス君」だ。彼が登場する動画やコミック書籍も配布されており、愛知万博で配られたDVD動画のラストシーンでの決めぜりふは「法律を守ってコピーするならリネックス!」だった(英語版だと「Be Legal, Copy LinEx!」)。

コンピュータリテラシー教育の未来

「オープンソース」ソフトウェアという名前は「フリー」ソフトウェアは運動の行き詰まりを打破するためのプロモーション戦略としてが採用され、それがマーケティングとして成功したという話はよく知られている。 だが、エストレマドゥーラ州の事例では、「オープンソース」よりも「フリーソフトウェア(ソフトウェア・リブレ)」すなわち「自由ソフトウェア」の理念の方が積極的にマーケティングに採用されている。これは単に政府がフリーソフトウェア信者に乗せられたという話で片づけることはできない。 エストレマドゥーラ州の戦略にはフリーソフトウェア運動以外のアイデアも採用されていることも見逃さないように注意したい。

エストレマドゥーラ州の試みの中では、GNU/Linuxの採用だけでなく、Squeak(スクイーク)を使った教育も見逃すこともできない。日本国内でも学校教育へのSqueakの導入は、初等教育では東京・京都・三重で実験的に行われている。しかし筆者が知る限り、政府の意向によって実施されるものとしては高等教育のスーパーサイエンスハイスクールの一部で行われている程度である。つまり日本政府が目指してきたのは一部の生徒を対象にした高度IT人材育成だが、これに対してエストレマドゥーラ州の目指しているのは、どの職につくかを問わず、すべての生徒がコンピュータ上で知識を表現できる社会である(エストレマドゥーラではこれを「知識社会」と呼んでいる)。これはアラン・ケイがSqueakを通じて提唱しているリテラシーそのものだ(実際、エストレマドゥーラ州政府はアラン・ケイたちに協力を求めている)。

公的教育でプログラミングなんて無理だ、と現場の先生方は思われるだろう。実際、国内の実験授業は大学生をアシスタントとして動員した集中授業の系式で行われ、普通の授業としては設計されていない(並木美太郎「ITスクールによる高度IT人材育成事例について(その1): 高校生にeToysとSmalltalkでオブジェクト指向プログラミングを教えてみて」情報処理 vo. 47, no. 2 , pp.109–115. Feb. 2006.)。いくらSpueakチームの協力を仰いでも、フリーソフトウェアで浮いたIT投資予算で人材を集めても、これを全学級でやるのは無理じゃないか。ただし、ひょっとしたらできるかもしれないと思わせるのは、生徒2人に1台のコンピュータを割り当てている点である。「ペアプログラミング」といえばXP開発の手法だと思いがちだが、学校でのコンピュータ教育においても有効だと言うことはかねてから指摘されており、実証的な検証もではじめている。(Laurie Williams, "Debunking the Nerd Stereotype with Pair Programming," Computer, vol. 39, no. 5, pp. 83-85, May, 2006. ) このSqueak教育の評価については今後の検証を待ちたいが、エストレマドゥーラ州の教育からは、日本のスーパーサイエンススクールをしのぐ人材が(ITに限らない)各分野において輩出されるかもしれないという可能性を感じさせる。エストレマドゥーラ州はフリーソフトウェア信者に乗せられた農村だという見方もできるが、むしろ知識社会の理念やコンピュータ科学のアイデアが試される実験場だということができるだろう。国内でもフリーソフトウェアを用いたリテラシー教育の先駆として『openoffice.orgで学ぶコンピュータリテラシー』のような試み出てきたが、次はコンピュータ社会はどうあるべきかという理念も発信してほしい。

国内の議論とこれからの社会

さらに日本国内での議論に目を向ければ、情報処理学会初等中等情報教育委員会を中心として教育用プログラミング言語に関するワークショップ2006が開かれ、そこではフリーソフトウェアも含めた義務教育でのコンピュータリテラシーが検討されている。その一方で、「プログラミングは誰もが学ぶべき価値はない、スーパーサイエンスハイスクールで十分」と考える見方も根強い。いまの段階で両者に決着をつけることは難しい。また、フリーソフトウェアでコストを削減したい、いや人材養成のコストを考えると高くつく、という議論も後を絶たない。これも誰もが納得できる回答は出ないだろう。 人口百数十万人のエストラマドゥーラ州で行われているのは、この難問に対するひとつの決断である。それは政治が「すべての人が知識を共有できる社会」という情報社会の理念を掲げ、「コンピュータを使って知識を表現し共有することにはすべての人が学べき価値がある」という信念のもとに制度設計を行った壮大な実験である。