オープンソース開発に対する歴史家の視点

同時代の評価と歴史的評価はかならずしも一致しない.たとえ同時代の人々に多大な影響を与え支持された人物でも,後世の歴史家によって厳しい評価が下されるということは珍しくない.後世の歴史家はオープンソースに対してどのような評価を下すのだろうか.本稿では,現代の歴史家によるオープンソースに対する評価を紹介する.

コンピュータの歴史とオープンソース開発

コンピュータ史についての代表的な学術誌である IEEE Annals of the History of Computing のコラムにおいて,科学史/科学社会学研究者の Nathan Ensmenger が 「歴史家とってのオープンソースの教え」という論考を書いている. (2月までオンライン公開されていたが,現在は IEEE Computer Society会員のみ オンラインで閲覧できる.印刷されたものは, Nathan L. Ensmenger: “Open Source’s Lessons for Historians” IEEE Annals of History of Computing , Vol. 26, No.4, pp. 104, 102–103. October–December 2004. )

この中で Ensmengerは,1950年代のIBMやUnivacのコンピュータユーザーズグ ループの活動に関する歴史研究を紹介しながら, コンピュータ産業初期のオープンソース開発を指摘する. たしかにオープンソース開発手法を「ソースコードを配布して,利用者からの フィードバックを取り込むソフトウェア開発手法」だと考えれば,オープンソー ス開発はコンピュータ産業の最初期,広域コンピュータネットワークが構築さ れる以前にまでさかのぼることができるだろう. (今日のIBMがオープンソース,あるいはコピーレフトをうまく企業戦略にとり こんでいるのも, こうした1950年代以来の歴史的文脈で捉えることができるかもしれない.)

同時にEnsmengerは,オープンソースに対する評価の多くに対して苦言を呈して いる.オープンソース開発の革新性を強調しようとするあまり,ソフトウェア 開発の歴史をなかったことにするような議論に陥ったり, あるいは「自己組織化」「贈与経済」と いったオープンソース推進者のキャッチフレーズを無批判に受け入れている, というものだ.そうした非歴史的な議論に対して,Ensmengerはコンピュータの 歴史研究の意義を再確認する.

オープンソース開発の歴史に向けて

実証的な先行研究を紹介しながら進められるEnsmengerの議論には 肯首できるところが多い. 本稿では,そこからもう一歩進んで,オープンソース開発を ソフトウェア開発の歴史の中に位置づけるための課題について考えてみたい.

まず,ソフトウェア開発の活動の歩みを後世に伝えることが重要である.オー プンソース開発について歴史的評価を行なうには,ユーザーズグループの活動 やプログラム配布形態などについての歴史を残しておくことが必要である.この 領域はコンピュータの歴史研究ではながらく注目されてこなかった.最近まで コンピュータの歴史といえば,情報処理学会の コンピュータ博物館 のように,ハードウェアの復元修復や動態保存が中心だった. システム開発プロセスについての記録も残ってはいるものの,多くはコンピュー タ企業の社史か開発者の苦労話で,ユーザとの間のインタラクションについて はほとんど記録が残っておらず,また実証的研究の一次資料として使えないものが 多い.(その一方で,フリーソフトウェア/オープンソースソフトウェアについては ソースコードの履歴からハッカー集団内部のインタラクションを解明するような ハッカーにとって興味深い研究も試みられている.)

また,オープンソース開発を語る際には,それがソフトウェア開発の革命では なくむしろ源流であることに注意すべきであろう.旧体制に対する革命として 語ること都合のいい歴史観を捏造することにつながりかねない. オープンソース開発はもともとソフトウェア開発の本流であり,むしろ クローズな開発こそプロプライエタリソフトウェアを可能にする条件が 整ってはじめて成立する.

おわりに

本稿では歴史学者によるオープンソース開発の評価を紹介した.今後の研究に よって,フリーソフトウェア/オープンソース運動が歴史研究から実証的な知見を 得ると同時に,コンピュータの歴史に新たな視点をもたらすことを期待したい.

最後にEnsmengerの論考では触れられていない点として,ライセンスについての 問題を指摘しておきたい.Ensmengerはライセンスを神学論争とみなし, 社会環境に注目した歴史分析を行なうと宣言している. だが,ライセンスこそが社会環境をつくったのだと考えることはできないだろうか? ライセンスはその領土内でのコモンセンスを形成し,集団の行動を規定し, さらにその先の領土を開拓するように設計することができる. これはコンピュータ開発初期には明文化されなかったが, GNU運動によってはっきりと意識される ようになり,いまではコンピュータ以外の分野でも CreativeCommonsが実践している.

環境としてのライセンスという視点がEnsmengerの論考に欠けているということは, コンピュータの社会史・開発史に契約の視点を導入する余地があるということでも ある. ただし一口に契約といっても,フリーソフトウェアにおいては Debian社会契約 のような一般の契約書とは異なる契約の概念も実装されており, 簡単にまとめることはできないが, 筆者はライセンス契約はオープンソース開発にも 歴史的な変革をもたらしたと考えている. こうした問題を含めて,今後さらに多くの分野の研究者が フリーソフトウェア/オープンソースソフトウェアについて研究を 深めることを期待したい.